小、中学校で不登校の子供が増え続けている
最近、こんな資料を目にしました。
これは「不登校児童生徒数の推移」を表した資料です。資料を見ると、近年で明らかな増加傾向にあることがわかります。では、なぜ不登校の生徒が増え続けているのでしょうか?今回は、その理由を児童側の僕が自分なりに考えてみようと思います。
始めに
僕自身は、不登校が悪いことだとは思っていません。わざわざつらい思いをしながらいづらい環境に居続けることはないのです。ほかの選択肢もあるし、何よりそっちのほうが無意味だと僕は思います。
1、資料から分析する
不登校児童が増加傾向にあることは明らかですが、よくみると令和2年から急激な増加がみられます。よって、「令和2年(2020年)を皮切りに不登校児童が増えた」と考えました。
では令和2年にはなにがあったのか?一番大きなものはやはり
新型コロナウイルスの感染拡大でしょう。当時の日本は大騒ぎになり、緊急事態宣言まで発令されました。
そして、コロナウイルスの感染拡大により、多くの学校が休校になりました。僕自身も経験があり、毎日学校から送られてくる小さな宿題をやっていました。
休校になっている間、ほとんどの時間をゲームやSNSを見て過ごします。友達と外で遊ぶこともできないため、学校が始まるまでの期間は家で過ごします。
いざ学校が始まると、こう思う子供も出てくるでしょう。
「勉強めんどくさい。ずっと休みがよかった。」
今まで家で過ごしていたため、楽しいゲームの時間が学校でお勉強の時間になるのが苦痛なのです。「学校楽しくない。行きたくない」と言い始めるのも時間の問題です。ここからだんだん発展していき、結果、不登校が増える。そう僕は考えます。
2、令和2年以降の増加理由について考える
ここからは、コロナウイルスが収まってからもなぜ不登校児童が増えるのかについて3つの要因から考えます。
①、生徒の問題
②、学校、教師の問題
③、家庭の問題
①生徒の問題
以下の資料は「学校に行きづらいと感じたきっかけのアンケート」です。
引用:令和5年度児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果
小学校でも中学校でも、突出しているものにあまり差は見られません。
体の不調、先生のこと、友達のことなどが高い割合です。
その中で気になるのは、「きっかけが自分でもわからない」「学校に行く理由がわからない」というもの。その他は、自分以外の人が理由な場合や生活についてなどの理由ですが、この2つは少し特殊です。なぜこのようになるのかを今から考えてみます。
「きっかけがわからない」と答えた生徒は、「昔から不登校で理由を忘れてしまった場合」と、「きっかけはあるが言語化ができない」という2つの主な理由があると考えます。
「昔から不登校で理由を忘れてしまった」は主に中学生の生徒にあると思います。自分が学校に対して明確に行きたくないという気持ちはあるけど、きっかけと言われると、忘れたからわからないとなるのではと。一番最初のきっかけが些細なことであればなおさらだと思います。
「きっかけはあるが言語化できない」は主に小学生の生徒にあると思います。小学生の生徒は年齢的に自分の気持ちを表現するという能力がまだ育っていません。言語化できないからわからない、きっかけはないという結論になる、と考えました。
「学校に行く理由がわからない」と答える生徒は、学校に行く意味を疑問視してしまう情報を見たのが大きな原因の一つだと思っています。
SNSが発達したことにより、多くの情報が簡単に入手できるなかで、「中卒で年収1000万」「学校の教育は間違っている」「円安で生活が苦しい」と、こういう話題を目にすることが多々あります。そして、こう思います。「中卒でもそんなに稼げるなら自分もそうなりたい!」「学校って間違ってるの?時間の無駄じゃん」「いま日本は生活が苦しいから勉強して仕事につけても意味がない」と。この情報が真実であれ嘘であれ、多少の疑問は抱くはずです。SNSの発達によるこの情報社会が、不登校児童を増やす要因になっています。
②学校、教師の問題
先ほどの資料で、「先生のこと」と答えた生徒が多くいました。なぜそう答える生徒がいるのか?について考えたいと思います。
まず、日本の学校の教師は負担が大きすぎます。担任の先生1人だけで30人以上の生徒と完璧に向き合う余裕がありません。そして、本来それは教師がやるべき仕事なので、余裕がないのはとても大きな問題です。毎日遅くまで学校に残っている教師の方も少なくないでしょう。
生徒全員と向き合う余裕がないとどうなるか、多数派に合わせるようになります。
人間にはそれぞれ個性があり、得手不得手があります。しかし、それを一人一人見ている余裕はありません。大体多くの生徒ができるであろうやり方をします。それは、できない人にとってとても苦痛です。それが悪いことではないとも教えられず、「自分は出来が悪い」と刷り込まれてしまいます。道徳の授業では、「みんな違ってみんないい、自分を誇っていい」と教えられるのにもかかわらず、実際の教育現場が一人一人を尊重できないシステムになっているのは明らかな矛盾です。そのような面で、学校、教師の問題。規模を大きくすると日本教育の問題と言えるのではないでしょうか。
③家庭の問題
昔は、熱があったとしても「気のせいだから学校に行け」と言われる。というような時代だったらしいですが、近年は考え方が多様化してきて、「我が子に無理をさせるぐらいなら休ませよう。」と思う親も少なくないでしょう。「ここで学校に行くことを強制しても悪い方向に傾くだけだ」とみんな考えます。これは子供にとって、学校を休むハードルが低くなったとも言えます。これが良いことか悪いことかという話ではありませんが、しっかりと子供と向き合って、どうしたいのか、どうなりたいのか、何が嫌なのかなどをきちんと聞く必要があると考えます。そして、今の「親世代は勉強をしないといい大学に入れないしいい仕事にもつけない」と教えられてきた世代です。不登校経験がある親が少ないからこそ、自分の子供が不登校になったときの対応に困る方も多いでしょう。
まとめ
近年増加傾向にある「不登校児童数」。不登校というと悪いイメージを持たれがちですが、時代は変わりゆくもの。仕事なども多様化してきている今、「学校に行ってしっかり勉強していい仕事に就くべき」という考え方は確実に古くなっていると思います。学校の勉強という選択肢に固執せず、自分を見つめることが一番いい将来の選択肢に近づくと、僕は考えています。